喫煙と禁煙
■ タバコの歴史
たばこ「tabacco」の歴史
喫煙の歴史は古く紀元前1000年頃のマヤ文明とされ、古くからアメリカ先住民の間に喫煙の習慣が広まっていた。
大航海時代の到来と共にヨーロッパに伝播し、様々な薬効があると信じられたことと強力な依存形成作用が相まって
数々の排斥を受けながらも100年間という15〜16世紀当時としては異例な速度で全世界に広まり定着した。
そのため世界で「tobacco」「tabaco」などとほぼ同じ名前がついている。
葉巻、パイプなど様々な喫煙方法が考案され普及しており、今日世界的にもっともポピュラーな喫煙方法は
安価で手軽な紙巻きたばこ(シガレット)である。
21世紀初頭の世界の喫煙人口は約13億人でやや増加傾向にあるが、そのほとんどは発展途上国による需要であり、
主要先進国を始めとした主な地域では急速に減少している(但し日本は除く)
日本では室町時代末期から安土桃山時代にポルトガルの宣教師たちによって持ち込まれた。
煙管(キセル)による喫煙が主であり、江戸時代初期には全国に普及したが、非常に高価な薬品として普及しており、
喫煙できるのは裕福な武士か商人のみであった。
江戸幕府は、しばしば煙草禁止令を出しているが、幕府や藩の専売とすることで次第に許可されていく。
江戸中期には煙草の値下がりと共に、100人中で煙草を吸わない人がわずかに2、3人と言われるほど、
庶民への喫煙習慣も広まって行くことになる。
宝暦年間には、庶民用の煙草10匁(約38グラム)が8文ていどであった記録が残されている。
煙草は単なる嗜好品としてではなく、煙管、煙草盆、煙草入れなどの道具への装飾や、
喫煙のマナーやスタイルなど江戸文化の重要な要素を占めるようになっている。
明治時代になってから、それまでのキセルによる喫煙に代わり紙巻タバコが庶民の間に普及した。
当初日本には2社のタバコ会社が存在していたが、日清戦争開始後に財政難に陥った国により
葉たばこ専売法が1898年に制定されタバコは専売化された。
当時、タバコによる税収は国税において大きな割合を占めており
(1945年には、タバコによる税収は国税の20%をも占めていたという)
日清・日露戦争などの戦費調達のための重要な財源であった。
第二次大戦後も、1985年まで日本専売公社によるたばこの専売が続いた。
1980年時点では、輸入たばこには90%の関税がかけられ、国内市場における輸入たばこのシェアは1.5%未満に過ぎず、
海外たばこ企業が日本国内でテレビ・雑誌・看板などの宣伝活動や市場調査を行ったり販売網を築くことはできなかった。
しかし、1980年の米国 フィリップ・モリス社の5ヵ年計画において、日本に対し市場を開放するよう圧力をかけることが計画され、
1982年、米国通商代表部(USTR)は日本政府に対し、関税の90%から20%への引き下げ、
海外企業の宣伝活動や市場調査の許可を求め交渉した(経済制裁の脅しも持ち出されたという)。
1985年、日本専売公社は日本たばこ産業に民営化され、1987年には米国タバコへの関税は撤廃された。
結果として、米国からのたばこ輸入本数は1986年に99億本、2002年には780億本へと増加し、
米国のたばこ輸出の61%を占めるまでになった。
日本でも、受動喫煙被害防止の流れを受けて、健康増進法第25条が制定(上記赤文字で記載)され、
さらに世界的には公衆衛生分野における初めての多数国間条約として2005年2月27日に
「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約(たばこ規制枠組み条約)」が発効された。
それ以前には防災上のものによる以外では余り明確な分煙・禁煙といった動きも少なかった。
特にオフィスの禁煙は、健康上の理由というよりもOA化による機材保護の理由付けの方が強く、
職場環境での分煙が始められたのは1990年代に入ってからのことで、
一般オフィスで明確な分煙化が進められるようになったのは2000年代に入ってからである。
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