支笏湖周辺

ウサクマイ遺跡

擦文時代の要約

北海道の擦文時代は、8世紀末から13世紀まで続いた時代で日本の奈良時代と平安時代にあたる。

擦文時代の集落は、狩猟や採集に適した住居を構え方をしていた。秋から冬にかけてサケ、マスなどの
獲物をとる時期には、川の河口の丘陵上に竪穴式住居の大集落、つまり本村を構え、他の時期には、
狩猟などを営む分村を川の中流より奥に集落を作ったと考えられている。

擦文文化の人々は、河川での漁労を主に、狩猟と麦、粟、キビ、ソバ、ヒエ、緑豆などの栽培植物の
雑穀農耕から食料を得ていた。
わずかだが米も見つかっており、本州との交易によって得ていたと考えられる。

擦文文化から本州の人々と同じくカマドが据えられるようになった。

擦文文化からアイヌ文化への移行についてははっきりしたことがわかっていない。
これは、発見された遺跡の数の少なさのせいでもあるが、土器が消滅して編年が困難になったせいでもある。
11世紀から13世紀に終末を迎えたようである。



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